『さらば、ドラムン・ベース。』


 さらば、ドラムン・ベース。―今、ここに宣言する。この「音楽」にはもう興味がなくなってしまった。理由は幾つかある。まず、DJをやらなくなったこと。正確にはやる機会がなくなったこと。「来年から月一でDJをしよう。」と友人から電話をもらったのは1996年のこと。とにかく、来年一年やってみようということだった。当時、友人はテクノにどっぷり首までつかった状態で、僕もドラムン・ベースにはまっていた。場所は神戸。元町高架下のクラブ「ゾンネ」と、三宮の「ベース」の二ヶ所で、結局その年に計6回やった。お店のブッキングやらなにやら、ほかの段取りはほとんどその友人らにやってもらい、こちらはだっこにおんぶで、連絡をもらえばレコード・ケースを転がして電車に乗って行くだけだった。といっても、僕は神戸から電車で3〜4時間ほど離れた所(JRの特急を利用した場合。)に住んでいるので、そういった事務的な手続きに関わりようがない。僕の方の事務的な手続きといえば、有給休暇届けを会社に提出するくらいなものだった。集客の問題やら、その他いろいろなことが重なり、なんとか6回のパーティをやり、その年が終わった。決して誤解しないでいただきたい。DJをする機会がなくなったからといって、その友人のせいにしているわけではない。当然彼には感謝している。もしパーティが続いていて、少しぐらい飽きてきても、それでもレコードを回し続けていれば、違った地平も見えてきたのかも知れない。でも、どうだろう。答えは自分達が一番よく知っていたのだ。パーティの名前は「プログレッション」といった。

  コードの管理というのも問題になってきていた。1996年後半から1998年の頭まで、買うレコードのほとんどがドラムン・ベースだった。とにかく買いまくった。その結果、レコードの置場所はともかく、その内容を把握しきれなくなってきたのだ。例えば、通販で買った20枚のレコードが家に届く。最初はとりあえず全部聞いてみようとする。全部一度に聞くのはしんどいな、と思っている時に、今度は郵便で次の通販のカタログが届く。品切れなんてこともあるので、すぐにチェックしてその日のうちにオーダーを出す。この繰り返しで、一度も聞かないレコードが増えてくる。それはおまえの根性がたりんだけだ、と言われればそれまでだが。そのうち、レコ屋の通販の方式が変わった。それまでは二週間に一度ぐらいのカタログ発行が、一週間に一度になった。かんべんしてくれ。アイテムの説明書きも嫌になってきた。「トリッピーなシンセ音が」とか。決して誤解しないでいただきたい。レコ屋、並びにそのスタッフの方々には本当にお世話になった。ただ僕が飽きてしまっただけで。

  して、シーンの停滞。例えば、ヒップ・ホップの12インチのように大抵のレコ屋で買える状況ではない。買える場所は限られている。リリースにも波がある。カタログは送られてくるけど、欲しいと思うものがない。それでも無理して何点か買ってみる。やっぱり面白くない。自分のDJとしての限界というのもある。下手なんだな、これが。そのうちやって来るシーンからの脱落感。部屋に溜まった、聞かないレコードの山を見る度の疲労感。自分が飽きただけなのか? 本当に今ドラムン・ベースってイケてんのか?という疑問がどんどん大きくなってくる。

  えば、レプラゼントの『NEW FORMS』が出た時あたりから、すでに気持ちが変わっていたのかもしれない。あの作品は好きになれなかった。それよりも、ロニ・サイズやクラスト達のインディ盤、つまりV、DOPE DRAGON、FULL CYCLEといったレーベルからの作品の方が断然面白かったし、刺激的だった。これは、ドラムン・ベースは回してなんぼ、という、言ってしまえば「フロア・ライク」な僕の考え方が根底にあるからであって、それは今も変わっていない。あるいは、そこで考え方が停止したまま、と言うべきか。

  ラムン・ベースの魅力とは、あのスットコドッコイとしか言いようのないリズムと、「あんた、殺す気?!」というくらい低いベース、この二点に尽きると思う。それまでポップスしか聞いてこなかった人にとって、これほどひどいカタチ=デザインの音楽もないと思う。例えば、G-SHOCKやナイキのシューズ、ある種のスポーツ・カーやルーズ・ソックスと同じように、「世紀末のバッド・デザイン」(←雑誌『BRUTUS』より。)な音楽なのだ。レコードの中で完成し、そしてDJによって回されることで完結する音楽。サンプルの組み方が最大の魅力であると同時に最大の弱点になった音楽。

  点を公衆の面前にさらした張本人、その最右翼はやはりレプラゼントだろう。以前テレビで彼等のライヴを見たが、ちっとも面白くない。そもそもライヴで、しかもバンド編成でというのが間違っている。フリー・ハンドで直線を引こうとするようなものだ。なんだか、ロニ・サイズとその周辺の悪口ばかり言っているように思われるかもしれないが、これも誤解しないでいただきたい。コンピレーション『MUSIC BOX』収録の「ウエルカム・ザ・ドラマー」や、マスク名義のシングル「スクウェア・オフ」などはマジで好きッス。彼等には感謝している。一度も会ったことはないけれど。

  然思いついたのだが、「チョロQ」(でしたっけ?)という自動車のおもちゃがありますが、あれはドラムン・ベースと瓜二つだ。デフォルメされたボディ=過剰なまでのビート(つまりデフォルメ)、その速度=BPM(実際の速度も速いが、スケール・スピードにするともー大変! 不自然な速さ)など。つまり、ドラムン・ベースはおもちゃであり、そのレコードを回すのはゲームなのだ。これが僕の結論。この考え方に従うと、最終的に二つの名前が残る。ゴールディと(DJとしての)LTJブケムだ。

  ラムン・ベースのアーティストでアルバムを発表できる、あるいはアルバムとして成立させることが可能なのはゴールディだけだ。DJが本業でもないし、フロア向けの12インチをどんどん発表するわけでもない。彼の場合、その曖昧な立場→すでにシーンから退いたような感じ→おもちゃであるドラムン・ベースを卒業→つまりおもちゃを熟知した、その次のレヴェルとしてアルバムが存在している。だって、ほかのアルバムって単に12インチの寄せ集めでしかないでしょ?「ジャズ」なんてキーワードを持ち出すヤツは、そのおもちゃの本質、更に自分自身を見失っているだけだ。その点、ゴールディはおもちゃということに自覚的だったとしか思えない。見極めが鋭かったのだ。勿論、彼の作品が面白いかどうかは別の話だが。

  方、ブケムはおもちゃに対して正面から、真剣に接している。そのDJプレイを聞いたことのある人だったら分かるはずだ。レプラゼントはフリー・ハンドで直線を引こうとしたのに対し、彼はフリー・ハンドでいかに美しい曲線を描けるかに挑戦している。8分のハイ・ハット、スネア一つ、更にはスネア半分の鋭さで切り込んでくるカット・イン。そのタイミングはワン・アンド・オンリー。例えばブリストル産のドラムン・ベースなどに比べ、彼の回すアート・コア(?)なものはBPMが遅いのだが、ミックス・テープなどを聞いていると、その「魂の速度」がいかにグルーヴィかが感じられる。MCコンラッドとのコンビネーションもバッチリ。グッド・ルッキンやルッキン・グッドなどから出ている曲は本当にちゃちだが、それらは全てブケムの為に作られたおもちゃであり、彼はDJをすることで我々に説明している。「このおもちゃはこうやって遊ぶのだ。」と。

  ラムン・ベースにはまった理由は幾つかある。が、一番大きいのはやはり「レインボウ2000」に参加できたことだろう。最初、友人に誘われた時は大した期待もなかった。まぁ、夏休みの思いでに、帰りに温泉でも、というのんきな気持ちだった。1996年8月、午後5時からスタートしたDJフォース。その低音が聞こえた瞬間、ガツーンともっていかれてしまった。(例えは変だが)山下達郎のコンサートでオープニングに流れるア・カペラのテープを聞いた時のような興奮。野外というシチュエーションもあってか、ちょっと涙がでそうなくらい感動した。最高の出会い方ができて、幸せだったと思う。彼があの時最初に回したのは何という曲だったのか、知っている人は是非教えて下さい。

  解しないでいただきたい。興味がなくなったからといっても、大嫌いになったわけではない。ミックス・テープやミックス・CDを聞くのは楽しいし、時々テレビで耳にすると今だに「おっ、ドラムン・ベース!」と思うし。地元のボーリング場のテレビ・コマーシャル(笑)で使われているドラムン・ベースは本当にカッコいい。ただ、以前のように通販で12インチを沢山買うことはもうないし、あの1996年から1997年末にかけての熱にうなされたような興奮と感動はもう得られない、と思う。結局、ターンテーブルが2台あった時に、「俺はドラムン・ベースを回すんだ」という確かな立脚点が見つかったのが嬉しかったし、実際に友人がそういう機会を与えてくれたのが嬉しかったのだ。だから、今後もしDJをすることがあるのなら、たとえそれが何年先のことであろうとも、僕はドラムン・ベースを回すだろう。ありがとう、ドラムン・ベース。さらば、ドラムン・ベース。

  して、今夜もどこかでパーティがあり、ドラムン・ベースを回すDJがいるわけで。お金と時間に余裕があれば、僕ももっと出かけてみたい気もするし、あるいは誰かがロンドンに連れていってくれると嬉しいのだけれど。その時はDJの皆さん、一つ、プレイ・イット・ラウドでお願いします。



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