『The Man Who Wrote "The Man Who Wrote Danny Boy"』


  末年始のなにかと忙しいこの時期ではありますが、今回当コーナーではなぜここ数年間のジョー・ジャクソンがダメなのかを、皆さんと一緒に考えてみたい。

  ず最初に確認しておこう。そもそもジョー・ジャクソンの音楽の魅力とは一体なんだったのか。どのような特徴が僕やあなたの心を引き付けたのか。まず、

  1. マイナスの要素―これはネガティヴな意味ではなく、「引き算の美学」、「制約の美学」とでもいうべきものである。後にジャイヴ、レゲエ、ラテン、クラシックなどと音楽のスタイルは変化していくが、元々パンク〜ニュー・ウェイヴのシーンから登場してきた人。最初は4リズムのバンドだった(つまり小編成)。『ジャンピン・ジャイヴ』と『ナイト&デイ』それにサントラの『マイクス・マーダー』ではギターが一切使われていない。(「スタイルの変化」と書いたが、「楽器の変化」とした方が適切かもしれない。予め楽器を選んでおいて、それを最大限に生かしたスタイルの音楽を作るという「課題」を常に自分に与えていたのではないかと思う。その意味では小西康陽などと同じ。例えばアルバム『ビッグ・ワールド』では初期の4リズムのバンド編成に戻り[マイナスの要素 その1]、しかもデジタルにダイレクトで2トラックに新曲をライヴ・レコーディングをするという緊張しまくりな「課題」[要素 その2]をメンバーは勿論、観客にまで与えている[実際その場に居合わせた観客には曲が完全に終わってから拍手するようにと指示が与えられた]。)
  2. 実験性―もしくはチャレンジ精神。ロック、ポップ・ミュージックにおいての冒険。ある者にとってそれは作曲法のことかもしれない。また、ある者にとってそれは演奏方法かもしれない。ジョー・ジャクソンにとってはレコーディングの方法がそうだった。先に挙げた『ビッグ・ワールド』が良い例。レコーディングされた場所はラウンドアバウト劇場というニュー・ヨークの演劇場。『ボディ&ソウル』のレコーディングでは組合員の集会所が使われ、隣のヴァンガード・スタジオにコントロール・ルームを作ったという。
  3. 作詞・作曲とメロディ―これはあなたがジョー・ジャクソンのファンなら説明は要らないだろう。歌詞に込められた皮肉と怒り。彼は常に「怒れる若者」なのだ。
  4. ライヴ・パフォーマンス―残念なことに僕はジョー・ジャクソンのコンサートに行ったことがない。しかし何本か見たライヴ・ヴィデオはいずれも素晴しいものだった。

の四つがあると思う。これらがどのように変化していったのか。


  1989年『ブレイズ・オヴ・グローリィ』というアルバムを発表する。このアルバム、信じられないくらいつまらない。ジョー・ジャクソンは少しずつ落ちていったのではない。突然、なにか「つまらない冗談」のようにつまらなくなってしまったのだ。何故か?

  1. マイナスの要素―ここでは「増えた」ことすべてが悪い結果へと繋がってしまっている。したがって良い「マイナスの要素」は見られない。参加したミュージシャンの数の増加、コンピュータの導入など新しく「増えた」ことの殆どに必然性が感じられない。ようするに無駄な音が多い。
  2. 実験性―シーケンサーも導入して、というところがチャレンジなのだろうが、ドラマーの名前とドラムマシンの名前を/で区切って「ドラムス担当」としたり、「フェイク・ドラムスのプログラムは誰々」とわざわざクレジットしているのをみると、その意識のレヴェルは低いと言わざるを得ない。以前インタヴューで「“コンセプト・アルバム”とはダーティな言葉だ。」と言っていたのを読んだことがあるが、今彼がダーティと思わなければいけない言葉は「ヴェロシティ」とか「クォンタイズ」といった言葉ではないだろか。
  3. 作詞・作曲とメロディ―これはあなたがジョー・ジャクソンのファンなら説明は要らないだろう。歌詞に込められた皮肉と怒り。彼は常に「怒れる若者」なのだ。
  4. ライヴ・パフォーマンス―残念なことに僕はジョー・ジャクソンのコンサートに行ったことがない。しかし何本か見たライヴ・ヴィデオはいずれも素晴しいものだった。

やはり、aとbが大きな原因なのだ。


   の後『ラーフター&ラスト』、『ナイト・ミュージック』、『ヘヴン&ヘル』とアルバムは続いていくのだが、いずれもaあるいはbもしくはその両方が原因となっていて楽しめなくなっているのだ。

  引き算の美学」と「実験性」、つまりそれは後者は新しいソフトウェアやハードウェアを使いこなせるかどうかということであり、前者はそれらをどの程度使うか/使わないかの判断を下すことである。

  ョー・ジャクソンのアルバム『ビッグ・ワールド』には「サヴァイヴァル」という曲が収められている。「欲しいものを持っていこう/でも必需品だけを/生き残るために」と歌っている。一方アルバム『ラーフター&ラスト』には「イッツ・オール・トゥ・マッチ」という曲があり、「スーパーには百種類ものミネラル・ウォーターがある/飲んでヤバイのはどれ?/クッキィは二百種類/チョコレートは八十七種類/選択の自由というけれど、、」と歌っている。これは象徴的。

  して器材の可能性に気をとられるあまり、自分の創造の立脚点を見失ってしまうミュージシャン。それはジョー・ジャクソンだけではないはずだ。B・ウイルソンの新譜にも言えることなのだ。かつては第一線で活躍していたものが退き、新しい波にかき消される、それだけのことなのだ。

  かし、ジョージャクソンは第一線で活躍したといえるだろか?確かにヒットはあったが、むしろヒットとは無縁なカウンターの部分でまだまだ鋭い存在であって欲しいと思う。なんといっても彼はパンクなのだから。例えばM・フルームあたりと組んで仕事をしててもおかしくないと思う。そう考えるのは僕だけではないはずだ。ここで注目。今までつらつらと言ってきたのはあくまで出来上がった音についての話。曲が悪いとは一言もいってないのだから。彼に必要なのは新しいパートナーなのだ。

  ラーフター&ラスト』のライヴ・ヴィデオ。最後に「ア・スロウ・ソング」が演奏される。途中からメンバーが一人一人姿を消していき、ジョーと彼の弾くキーボードだけになる。延々と続くリフ。突然彼が鍵盤から指を離して立ち去る。それでもリフが続いている。途中でシーケンサーに自分の演奏を8小節録ってループさせているのだ。何度見ても美しいエンディング。


  
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